春牧の歴史

~集落の名前の由来~ 

 春牧は「ハルマキ」と読み、昭和24年1月に安房村からの分村のおり、それまで安房村の一農事小組合であった「春田(はるた)」と「牧野(まきの)」の頭文字をとって村名を「春牧」と名付けたものであります。

 

 「春田」は、「浜ン田(ハマンタ)」から由来があるとも、また古代の班田収受が行われた地として、班田が春田の字名として残ったという説があるといわれます。

 

 「牧野」は元々馬の放牧地があったことから名付けられたとの説があります。

「春牧」という名前は水々しい新緑に覆われた春の放牧場を想起させ、まさに自然豊かなこの集落にピッタリの名前だと思います。

 

~集落の歴史~ 

 春牧・横峯遺跡の発掘調査により、竪穴式住居が検出され、住居跡の総数は350400基にのぼると推定される。約3500年前、縄文時代後期からこの地で人々が生活していたことがわかります。

 

 その後17世紀の藩政時代に、春牧集落と隣りの平野集落を合わせて「黒石野村(クロイシノムラ)」と呼ばれた記録があります。当時の資料によれば3世帯、27人しか住んでいなかったとあります。

 

 そして明治5年に郡制改革により、黒石野村は廃村となり、安房村に属することになります。大正時代には屋久小林区署が設置、国有林事業が開始されると、島外より事業関係者が来島、さらに樟脳製造、トリモチ製造が始まると集落には料亭もでき、医師も来るというように、人も金も集まってくる状態になったとのことです。

 

 戦後、上記に記しました通り、「春牧集落」が誕生し今日に至るわけです。平成23年12月時点での世帯数は432世帯、935人と、屋久島の集落では宮之浦、安房に続き3番目に大きな集落となります。

 

 平成5年に屋久島が世界遺産に登録されて以来、毎年約30万人ほどの方が観光で訪れます。その方々に対して「暖かくおもてなしのできる集落づくり」を目指して、春牧集落で取り組んでまいります。